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人としての自覚

建安の人々

魏晋に触れるようになったのは、ある意味コロナがきっかけかもしれない。何もかも変わって、惰弱な私は、迷っていた。当たり前のような世界がデコンストラクションされ、今まで自分は「人」としてではなく、「社会人」として改造されたことは明らかになった。その違和感はなんなのかを知らなくても、薄々感じた人も少ないだろう。これほど複雑な世界を前に、人としての道を探さなければならない、と私は思った。

建安文学という概念は、曹丕が亡き友への追憶の上で創ったもの。デビューした当時、建安七子は既にみな死んでいた。疫病はきっかけに過ぎず、その後の独特な魏晋文化を醸成したのは、間違いなく社会の崩壊である。社会・政治・経済は違うものではあるが、封建制の時代では政治が上位に立つ。政体の権威性の不確定性は、いろんな面の崩壊をもたらす。

魏晋は歴史の中でも特に風評が悪い時代。民としては、生活の質量は低く、人とは言えない生活をしていた。統治者にとっては、上層部の思想が自由すぎて、封建制度の崩壊につながる。功名をあげたい人としても、九品官人法は都合よく士族に利用されて、仕官の道は塞がれた。短時間ならまだしも、時間の経つにつれ、階級間の衝突が激しくなるのも予想がつく。

では、寒門が仕官したところで、社会は必ずよくなれる?そうでもない。寒門の役人は異動が早い、逆に士族のような自分の領地の発展のためよく働く、という考えがなくなった。封建制度のもとで、提唱されたのは、多くは「大一統」のための自己犠牲にすぎない。それは漢王朝や多くの時代での常識であって、役人もずっとそうやってきた人が多い。しかし、それも大一統は自分の利益につながるからである。

寒門の役人の多くは、権力やお金を求めすぎて、民に多くの犠牲を要求した。「それは国や政府のためである」と。それはいささか不義理ではないだろうか。だからこそ、荀彧のような既得権益者でもないのに、漢王朝に忠を尽くした人は後世に好かれたのだろう。同じ権力者側の人間なのに。

話は戻る。少なくと、今では客観的に見ることができた。魏晋の制度の良し悪しはさておき、それは人としての自覚が誕生する時代であることは否定できない。人は「政権」だけのために生きなくてもいい、そして文章も「大一統」だけのために書かなくていい、そういう時代である。

当時の曹丕を筆頭にした文士の遊宴では、丁廙の妻も当たり前のようにその創作に参加した。こういう世間に認められない観念を頑なに持ち続けたからこそ、劉楨は牢獄にぶちこまれたのだろう。(呉質はまたちょっと違う)このこと、そしてその後の疫病で5人もの親友の死は、曹丕に巨大な衝撃を与えた。自分は太子とはいえ、所詮無力。曹丕が皇帝になった後、こういう人たちの持つ思想を経典化することを選んだ。

孔融は曹丕とそれほど親しい関係なわけではない。文学のスキルから見て、繁欽、楊脩、もしくは曹植も十分ありえるではないだろうか。では、どうして孔融を選んだ。孔融が既に亡くなったのは一つの原因として考えられるが、一番重要なのは、やっぱりその反発精神ではないだろうか。建安七子は特にみなに下品と思われる「五言詩」を好んでいた。そして、それを創作し続け、後世にも影響を及んだ。しかし、それは当時から見ていささか滑稽である。孔融のそういう「気」がこもっていた作風は、建安七子共有なもの、そして持つべきものと言えよう。

王弼は易に「互体」なしと、ずっと唱えていた。しかし、彼が足した注から見れば、彼も結局「互体」あると信じていたことは明白である。では、なぜそれほどまで、荀家の敵になるまで「体」、もしくは「象」を否定しようとしたのか。実は彼が本当にやりたかったのは、革命の風を起こすことであった。彼からして、聖人の「意」を知れれば、「体」は無用なことになり、捨ててもいいことになる。

文学で例えると、文章を書く時は、なんらかの意・情を伝えたいのが普通である。もしその意・情をちゃんと伝えた場合、文学的手法もどうでもいいことになる。絢爛たる字句、華美な修辞も結局意・情を伝える手段にすぎない。しかし、当時では、みな上辺のものばかり気にして、易の解釈についても「先賢はこう言ったから」と、内容の本質から離れ、意味のない「体」についての補充だけ気にしていた。

それは易についてのだけでなく、各層の共通な観念にもなっていた。王弼は自分の、若者なりの反発的な考えを作品の中へ取り入れようとした。そして、易を煩雑な意味もない仕官手段から人生の哲学を学ぶ本へと変換した。それもある意味、少年ならではの生意気と言えよう。建安七子も、似た様な者たちではないだろうか。

もちろん、もたらした結果を当時の意図につながるは無理がある。王弼は決して民のためなどを思っているわけではない。ただ自分なりに、その歪んだ思考を正そうとしていただけであった。一人の評価をする場合、「民・国のため」などは所詮飾りにすぎず、短期的なものである。一人の人間としての主観的意識と自然的意識との対立こそ、生命力の源と言える。

人間についての思考は、特定した階層にだけではなく、全人類の解放にもつながる。建安文学が時間に埋もれなかった主な原因も、その輝き続けた、人としての自覚の持つ心ではないだろうか。

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