鍾会の書家としての地位は言うまでもない。しかし、彼は四十も満たない年齢であの世へ行った。(とは言っても、玄学の理論では、あの世は存在しない。人はいずれ無に帰する。)
『書法雅言』という本では、明の銭穆は17つの角度から書法を書くときに必要な要素を論じた。
その中、鍾会の習字生活をうかがえるのは天資と勤勉の部分である。
◎蓋聞張、鍾、羲、獻,書家四絕,良可據為軌躅,爰作指南。彼之四賢,資學兼至者也。然細詳其品,亦有互差。張之學,鐘之資,不可尚已,逸少資敏乎張,而學則稍謙;學篤乎鍾,而資則微遜。伯英學進十矣,資居七焉。元常則反乎張,逸少皆得其九。子敬資稟英藻,齊轍元常,學力未深,步塵張草。惜其蘭折不永,躓彼駿馳。玉琢復磨,疇追驥驟,自雲勝父有所恃也,加心數年豈語萍語哉?
天資論では、銭穆は「鍾繇の天資の良さは決して越えることができない。鍾繇と比べ、王羲之は努力を惜しまないが、天資はちょっと劣る」と言った。そんな鍾繇は、わざわざ五歳の鍾会に、書法の秘術を伝授したということは、鍾会もそれなりに天資を持っている、ということになる。
◎初學之士,先立大體,橫直安置,對待布白,務求其均齊方正矣。然後定其筋骨,向背往還,開合連絡,務求雄健貫通也。次又尊其威儀,疾徐進退,俯仰屈伸,務求端莊溫雅也。然後審其神情,戰蹙單疊,回帶翻藏,機軸圓融,風度灑落,或字餘而勢盡,或筆斷而意連,平順而凜鋒芒,健勁而融圭角,引伸而觸類,書之能事畢矣。然計其始終,非四十載不能成也。所以逸少之書,五十有二而稱妙;宣尼之學,六十之後而從心。古今以來,莫非晚進。
そして、勤勉論では、「書家になるには必ずしも四十年以上かかる。王羲之は52歳でようやく精妙と言われるようになった。孔子は70歳でようやく学問に通じるようになった。古往今来、四十年以上練習をし続けないで書家になった者はない」と言っていた。
この話は側面から鍾会の天資と努力を検証したのである。神品の書家は、死ぬとき60歳に達したことが多い。鍾会は40歳で妙品になった。もし長生きできれば…
人はいずれ死ぬ、それに抗する唯一の手立てはものを書き残すこと。時間は鍾会の文士としての痕跡を抹消した。しかし、今でも文献からその書風をうかがえることができる。それも、歴史という名の仁慈だろう。
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追記:このテーマは幾度も書こうと思った。しかし、参考資料はバラバラで、ましてや最初の時は書道に全く詳しくなかった。書法についての評価をそのまま書くのも一つの手だけど、それは旅とは言えない。歴史的評価を自分で判断する場合は、その時代背景を考察し、親身なってから見れば、理解もきっと深まる、と、私は思った。