暇つぶしに『龍が如く』の実況を見た。
ふと思うことなんだが、隻眼のキャラって今ではすっかり慣れた気がするね。 夏侯惇もそうだけど、眼帯つけたキャラができきたとしても、「あれ」って思わないようになったらしい。世界中でも結構異例と言えよう。
しかし、いつからこうなったのだろう。
少なくとも羅貫中の『三国志演義』では、夏侯惇は隻眼であることで、なの有名な禰衡に「五体満足将軍」と笑われた。1800年前の当時でも、夏侯惇は軍中で「盲夏侯」と呼ばれ、ひどく傷つけられた。
《魏略》曰:时夏侯渊与惇俱为将军,军中号惇为盲夏侯。惇恶之,每照镜恚怒,辄扑镜于地。
衡笑曰:“……夏侯惇称为完体将军,曹子孝呼为要钱太守。其余皆是衣架、饭囊、酒桶、肉袋耳!”
これって中国人からしては、隻眼は決して名誉の象徴などではないという意味でしょうね。
世界中の文学を見ても、隻眼は大体狂人や足が不自由の人に繋がる、つまり精神の欠陥に繋がる。それもそうだけど、普通障害人間でもなったら弱くなるのが当然だよね。
儒教の教えでは、「人はいずれ死ぬ」などと口説いてはいる。しかし、傷を受けた場合はとなると、残念なことに、心を安げるような教えはない。「身体髪膚これ父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始めなり」、君子は体の健全と顔の美を求められている。
隻眼になったことに、吉川版の『三国志』では、こう書かれていた。
――後には、人々の話題を賑わし、夏侯惇もよく笑いばなしに語ったが、わが眼をって血戦したその場合の彼の心は、悲壮とも壮絶とも言いようはない。
夏侯惇の人物像も、この時から定着されたのだろう。眼帯はつけてないけど。
こう考えてみよう。 病で隻眼になったのと、戦で片目を失ったのと、どっちがかっこいい? ここではやはり、後者を選ぶだろう。
これはやっぱり、男たちの間で「強い男の方がもモテる」という風潮があったからであろう。
「色男、金と力はなかりけり」というのは、70年代以後はあまり見られないようになった。優男の方がモテるのは、公家の間や、明治以降の中流階級の女性に限る。軍国主義やアメリカのマッチョ主義の影響を受け、男の理想像は大体ギャングやヤクザみたいな男ばかり。
とは言え、今では一番よく見られる眼帯をしている政宗の姿も、1987年『独眼竜政宗』で初めて出たらしい。夏侯惇もおそらくその辺りだろう。
眼帯を見れば、「昔はいじめられ、今は力が欲しい」や「奮戦した」などを彷彿させる。次第に、心が歪む人や武勇伝を持つ人の代表になった。
しかし、傷を隠すことはやはり何らかの儒教の影響を受けていたことの象徴だね。名誉とは言え、体はやはり健全である方がいい。